心の願望と、体の要求の誤差
もっと背が高くなりたい!
そう思い始めたのは、小学生の高学年くらいでした。
そこで当時の未熟者は考えました。
「寝る子は育つ」というなら、寝ているときに背が伸びるように工夫すればいいのではないか、と。
まずは「ベッドを傾ける」ことから始めました。
頭のほうのベッドの足の下に雑誌を挟み込み、足のほうへ傾くようにしたのです。
どうせなら足も長くしたいから、こうすれば、もっと足のほうに栄養がいくだろう、と思ってのことです。
寝ながら何度も足のほうへずり下がっては高さを調節しなおし、ようやく眠りについて、いざ、翌朝。
見事なものです。
なんと栄養だけでなく、その全身がベッドの足のほうへ集まっていましたとさ・・・。
さて、気を取り直して、今度は、こうなるとベルトで固定したほうがいいかも、と考えました。
頭や首をしばるのは危険ですから、ここは腕や手を、と思いました・・・が、親に手伝ってもらおうとしたところ、変な趣味を疑われて怒られてしまう始末。
結局、親から「もっとピーマンを食べれば背が伸びる」と言われてしまい、そこまでして伸ばす必要もないか、という結論に至りました。
それから中学生になり、バレーボール部に入りました。
小学生時代は剣道と野球をしていましたが、特にバレーボールに興味があったわけではなく、友人たちとの流れやノリで入部したようなものです。
そんな軽い気持ちをよそに、体のほうは、その新たな生活環境に合わせるように成長してくれました。
あのネットの高さを越えるべく、ぐんぐん背が伸びたのです。
やはり「体は正直」といったところでしょうか。
ところが身長の快進撃も、中学卒業のころには見る影もなくなってしまったのです。
原因は、これまた未熟者らしく、その儚い見栄にありました。
タバコ。
それをシンボルとした「不良生徒」に憧れてしまったわけです。
そして「心の願望」と「体の要求」の誤差は、その後、ますます広がるばかりでした。
もっと体力をつけたい、もっと男らしくなりたい、もっとかっこよくなりたい・・・。
いずれも紫煙のよどみに吸い込まれては消えていく運命でした。
本気で背を伸ばしたいと思うなら、その身長を必要とする環境のなかに身を置き、その願いを忘れるほど夢中になるのが一番かな、と思います。
家系だの遺伝子だの、そんなものに縛られてしまうほど、人の体も精密にはできていないはずです。
逆に自分の落ち度のせいで、本来の「伸びしろ」が減ってしまう場合もある、ということも、忘れてはいけないでしょう。
今では、そう思えてならないのですよ。
背の高い兄弟たちを見上げながら・・・。
ペンネーム:カブ さん